2011年6月26日日曜日

イルカと泳ぎながら見る夢

 今南三陸の山側にある町の古い旅館にいます。みらいじまスタッフから提案のあった養殖漁業者向への潜水機器支援は無事完了しそうです。
被災地は厳しい状況が続いていますが、一つ良いニュースは、漁師さんたちに活気が戻っています。復興という強い意志のもと、状況は着実に前進していました。

さて御蔵プログラム、震災や原発事故の影響か、現段階で応募者が激減しています。7月の海の日三連休等は、以前のキャンセル待ちより少ない状況です。千葉や神奈川の海水浴場でも放射性物資は確認されていないので、南からの黒潮流れる御蔵島で放射性物質があるとは考えられませんが、気持的な影響がある思います。

またスタッフのサンバファームがある山武の有機ニンジンは、放射性物質検出ゼロとのこと、規格外品を無償で直接被災地に送ってもらっています。僕も7月から御蔵が始まり、仕事も相当厳しくなってきたので、今後直接的支援は秋まで難しいかもしれません。ただスタッフの中に引き継いでくれる人が出始めていることは嬉しいです。最後に屋久島の自然ガイドに転職した、みらいじまの生物博士池田君のエッセイが発掘されたので、下記ご紹介します。



イルカと泳ぎながら見る夢 池田裕二

世界には、2種類のヒトがいる
イルカと泳いだことのあるヒトと、そうでないヒトだ
彼らと泳ぐことをドルフィンスイムと呼ぶ
原始的な、海で泳ぐ喜びを心の底から、
そして体全体で感じることができる

イルカは不思議な野生動物である
一緒に泳いだことのある人なら、彼らが好奇心旺盛で
ヒトをよく観察している、ということが体験でわかるだろう
イルカがヒトと泳ぐとき、彼らは視覚と超音波を頭脳で駆使し
そのヒトが危険な存在なのか、無視していい存在なのか
ともに遊べる存在なのか、じっと観察している

一緒に泳いでいると、全てを見透かされているような
そんな気がする

イルカの気分がいいと、ヒトの周りをくるくると回ったり、
ヒトが泳いでいるすぐ目の前を泳ぐことがある
特に、イルカが自分の前をリードするように泳いでいるときは
少しリラックスした感じが見受けられる
こっちにおいでよ、と誘っているようにも見える
余裕の表れか
野生動物に対し安易な擬人化は危険ではあるが、そんな感じがするのだ

餌付け、という言葉がある
野生動物に対し、食料を与えることにより、人に慣れさせる手法だ
これに対しヒト付け、という表現もある
ヒトは無害だ、無視できる、と思わせるために野生動物に無害なヒトを
観察させ、無視されるほどに慣れさせることである
屋久島のサルやシカがいい例だ
彼らは決して餌付けされたわけでないが、ヒトに対する警戒心が薄い
これはかつての野生動物研究者が徹底的に「ヒトの無害性」を彼らに
見せつけ、ヒトに近づいても、ある程度大丈夫!と彼らに認識させた
長年の努力の賜物である

御蔵島のイルカは、ヒトが長年危害を加えていない歴史があって
漁船に近づいてくることが多々あり、また水中で一緒に泳ぐこともできる
決して餌付けをしたのではなく、これは完全なヒト付けである

このように野生動物との平和的な干渉ができる地域は世界でも珍しい
日本はたびたび、「イルカやクジラを食べる野蛮な国だ」と糾弾される
ことがあるが、それとはまったく別に、イルカと平和的に暮らすことが
できる文化がある
これは世界でも誇れることであり、必ず未来へ残さなければいけない環境だと
私は考える

「みらいじま」にとってイルカは自然からの親善大使であり、先生であり、友達である

厳しい自然の中で暮らし、自然と平和的に共存し、また人間とも平和的に交渉する
まさに尊敬すべき存在である
科学の発展や、便利な生活を追い求めた現代人とは別の方向の
「自然と平和に共存し、持続する世界」が彼らの中に見える気がする

私の夢は、日本各地で野生のイルカと遊べる海を創ることだ
御蔵島をはじめとするドルフィンスイムができる地域が増えれば
どんなに素晴らしいことだろうか

そのためには、自然環境教育を徹底的に改善すべきであろう
小さいころから自然と親しむことを学び、日本には素晴らしい自然が
残されていることを体験し、大人になってもそれを守ろう、残そうと
考え行動する強い力を育てなくてはならない

まずは大人が自然の中で遊ぶことを心から楽しみ、子供たちへその喜びと
感動をわからせることからはじめよう

全ての生き物は「1 対 多数」の関係で、お互い支えあいながら
絶妙なバランスの上に生きている
1種として無駄な生き物は存在しない
野外に出てに生物と触れ合い、命の煌きや、意味、不思議を知り
自然と共存できる社会作りを目指そうではないか!!

(写真)みらいじまスタッフ 中野薫